使ってみて役に立った、画家達の名言集/p5

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水彩画ネットワーク 退職後水彩画を描き始めた人へ

5. 先輩たちのエッセイ


 この章では上とは打って変わって、人生の先輩方の、絵とか写真にまつわる各種話題提供と、それへの筆者の感想を気楽に綴ります。

5.1. 画題は必要か否か?[川西市中山繁樹先輩]

 
 <先輩のエッセイ>
 画題を考えるのは結構面倒です.前にも言ったと思いますが,画題は不必要とする人もいます.クラブの我が先生は必要派です.写真は文字と異なり不完全な記号であるので,キャプションがないと撮影者の意図が伝わらないというわけです.審査のとき,”何を撮りはりました”と聞かれ返答に窮します.私は,不必要派ですが,クラブの中では先生に従っているので,無理して画題はつけます.

 <筆者のエッセイ>
 作品は発表後は、作者の思いとは別個に存在します。 観る人がどう作品を捕らえるかは、観る人によります。 が、作者がその意図をより具体的に伝えたいかどうか、によるのではないでしょうか。
 ここで恐らく左脳型の「作品をありのままに観る人」と、右脳型の「作品をきっかけに空想の世界に飛び立つ人」とで反応が異なると想像します。

 一枚の絵があります。(絵をクリックすると拡大します)
  
図5-1-1 Yさん(F8)
  └→詳しく見る

 画題がなければ、この絵は「果物やつぼのある室内画」と、左脳型右脳型ともに認識するはずです。
 ところが現実には画題を「Yさん」とつけています。 そうすると左脳型は「この画題は間違いではないか」という反応をするでしょう。 一方、右脳型は「Yさんとなぜつけたのだろう?」とまず考え、作者の意図を探る空想の世界に入るでしょう。 画題のないときに比べて、違う世界に入っていくことになります。 「Yさんとはどんな人だろう」「Yさんをどこで表現しているのだろう」・・・。
 作者の意図は、Yさんの人柄を色と、彼女の作品で表現することでした。

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 └右脳派・左脳派診断

(2017/4/25変更) (2016/6/22変更) (2014/2/8追記) (2013/4/26記) 


5.2. 人はなぜ絵を描くのか?[奈良市島田邦麿先生]

 
 <先輩のエッセイ>
 人はなぜ絵を描くのか、絵を描くものは時にそんな疑問がよぎる。 人間をはじめたときから絵は洞窟や岩壁に絵を描き始めた。 これは人間の本能と深くかかわる。 描きたいという本能が人間らしくなるほどに膨らむ。 不思議なものだ。 それ以上分析すると簡単に済みそうでないのでやめるが。 ただ筆をもたぬひとも、できたら一度もってみてほしい。 心惹かれるものを描いてみる。 そこにひょっとしたら自己解放感があるかもしれない。 あるいは自覚なくても自己発見さえも。 そこに喜びが沸いてきたら最高である。
 正道からいえばまず対象をよく見ることから始める。 よく見るとそれはなんらかの認識につながる。 それを自分の感性で表現する。 なんとすばらしいことではないか。 しかし最初からそううまくはいかない。 そこに筆者が言われるよき指導者も必要になってくる。 1歩ずつでも上昇志向があれば必ず階段は上っていける。 そして表現も確かで広がりのあるものになっていく。 人は自分の脳の少ししか使っていないのだから。 私は指導しながらいつもそんなことを願っている。

 <筆者のエッセイ>
 僕はなぜ絵を描くのか、それは、家の向かいに水彩画教室があり、退職後ボケ防止に何をしようかと思ったときに、たまたま目にとまったからである。 目にとまったのには訳があって、その前の瞬間までは「指を使うのがボケ防止に良いらしいということで」陶芸をしようかと、ぼんやりと考えていた。 水彩画・・・まてよ、陶芸ほど制作物の処理に困らないはずだ。 年10枚制作するとして死ぬまで30年間で300枚になる。 それなら押し入れに入れてもたいしたことは無いだろう・・・。 と考え、水彩画を習うことにした。
 孫たちを見ていると、一人は絵を描くのが好き、もう一人は新幹線が好き、と教えることがないのに、それぞれ好みがある。 一人一人の個性というか、それぞれの世界に浸って遊んでいる。 音楽が好き、絵が好きとか、酒が好きとか人間ごとに感性がバラバラであるが、人類全体ではそれぞれに同類が沢山いる。 不思議なものである。
 絵を描き始めて、自分は自然を、木を森を花をまったく観ていなかったということに気がついた。 一方意外なことにであるが、人間を一番観ていた、ということを知った。

(2013/6/6記) 

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