私鉄と廃線の旅>関東/東国分寺駅

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2023-03-31東京都国分寺市[参照]にかってあった、(廃駅)東国分寺駅に行って参りました。

 1928年(昭和3年)に多摩湖鉄道として誕生した、西武鉄道多摩湖線は、住宅地開発と大学誘致を目的に開発されました。 その性格上、単線で、誕生当時は、都電のように数多くの駅が設置されていました。
 国分寺駅から北の多摩湖に向かうと、最初の停車駅がかってあった、(廃駅)東国分寺駅です。 連雀通りを過ぎたところにあります。 1933年(昭和8年)に開業し、1954年(昭和29年)に廃止されました。
 現在、かって駅のあったところは、多摩湖駅に向かって道路左側の、わずかに不自然なゆがみとして残されているだけです。 右側が多摩湖線の線路です。↓
   東国分寺駅/1 画像の拡大画像の拡大  
東国分寺駅/1
 開業当時、駅の周辺は畑ばかりで、農家が散在していました。 乗降客は一日20名程度だったそうです。[引用]
連雀通りの踏切を渡り東に行くと、左側にその当時からある農家が、今でも続いています。
 畑は南北に細長い形をして、連雀通りに沿って農家ごとに区分けされていました。 農家ごとに農地は売られ、その結果南北に細長い宅地開発が進みました。 今ではぎっしり家が建っています。↓
2022/#もくれん通り   画像の拡大画像の拡大
   2022  
2022/もくれん通り
2022
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 もくれん通りを進み、右折し東に50mほど進むと、1929年(昭和4年)ごろに建てられた、旧庄子勇家(本多)住宅↓が、かってありました。 なんでも庄子さんは外交官で、仕事柄立川飛行場に近いので、ここを選ばれたそうです。 立川飛行場では、1922年から旧陸軍、1925年から国内初の民間航空会社が設立されていました。
 もっと詳しい説明は↓をクリック
2020/#旧庄子勇家住宅   画像の拡大画像の拡大
   2020  
2020/旧庄子勇家住宅
2020
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 ご近所には、公園が散在しています。
2020/#本多モッコク公園   画像の拡大画像の拡大
   2020  
2020/本多モッコク公園
2020
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 今度は、線路の左側(西側)を紹介します。
線路際に沿って、かって日立製作所武蔵工場がありました。 女子バレーボールで世界を制覇した、チーム「日立武蔵」[参照]がここで育ちました。 日本リーグ6連覇、リーグ戦88連勝の金字塔を残しています。
 武蔵工場は半導体を製造していましたが、規模を縮小して分離され、現在はルネサスエレクトロニクス(株)武蔵事業所となっています。 工場受付は、昔の面影を残しています。 道路が丸いのは、バスがここで折り返すためです。 左に連なるバス停群は、かっていかに多くの従業員がいたかを、暗示していますね。↓ 遠くに見えるマンションのその先まで、工場の敷地でした。 
   東国分寺駅/2 画像の拡大画像の拡大  
東国分寺駅/2
 約半分に縮小された残りの敷地は、マンション群、食品スーパー二軒、ホームセンターなどになりました。
まったくの余談になりますが、日立武蔵が練習に励んでいた体育館は、↑の写真右側の道路をまっすぐ600mほど進み、玉川上水を越えたところの右手にありました。 ちょうど一橋学園駅との中間地点といったところですね。 ここには、(廃駅)桜堤駅[参照]がありました。 写真のマンションから先、200mぐらいのところです。

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